Honda Cars 尾張の創業者回顧

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平成30年 10月
代表取締会長 山田 政二

出生と生い立ち

この10月で満75歳となりました、思えばよくぞここまで生き延びられた事と、神仏をはじめ周りの方々に対して感謝の気持ちを申し上げます。

大東亜戦争真っただ中の昭和18年10月17日名古屋に山田家の次男として生を受けましたが、当時母親は戦火の中を幼子二人を抱えて防空壕に避難ばかりで大変な日々で、その後、岐阜県の恵那に疎開やっとの事で難を逃れました。父親は軍に徴兵され中國大陸から戦線の拡大でフィリピンへ最後ルソン島にて玉砕、行方不明戦死となっています、20年8月15日にはポツダム宣言を受けて終戦。

もともと家業は木毛問屋で木毛、木箱。木札の製造販売を、祖父が健在で使用人もいて各地へリヤカーに一杯の荷を積んで配送、蔵の中では大きな松の丸太がせわしなく大きな音を立てて、小さな木毛に加工され活気にあふれていました。わたしが小学6年の時に祖父は自転車で転倒したらしくそれきり寝たきりとなり家業の木毛商売は立ち行かなくなり、以後収入の道は完全に途絶えて家の中にある金目の物,蔵の中の掛け軸、家具,骨とう品と売り食いの時期もあり、母の内職だけで一時は赤貧洗うがごとしの惨状しかしその後、母が貿易商の会社に勤めて配送準備、荷作りと定年まで頑張っていた。そんな中で私はなんとなく中学を卒業、そして高校ではアルバイトに忙しく本来の勉学に勤しむことはほとんどありませんでした。

社会への旅立ち

やがて就職、大阪に本社のあった写真機材、化学薬品の会社に入社はじめは倉庫、事務、営業、最後は研究室勤務となりました毎日が充実した日々をすごしていました、近くでは刈谷の日本デンソーや小林記録紙などに写真製版の技術的な問題の解決に奔走し名古屋では朝日新聞、中日新聞、中部経済新聞には凸版の製版に尽力しました。

そうした中でたまたまホンダ営研の社員募集の広告に出会いS800のオープンスポーツカーとアタッシュケースのあまりの恰好良さに圧倒され、すぐに就職試験に臨みましたが、試験会場には現役の自動車関係と思われる先輩達もいっぱい居て全く自信はありません、しかし何回もの面接やテストの結果不思議に残ってしまったのです。

ホンダとのつながり

こうしてホンダとのお付き合いが始まりますが個人的には中学3年の時に友人の家でスーパーカブに出会い衝撃的な思いをしたことが印象に残っています。昭和41年5月株式会社ホンダ営研に第一期生としてのスタートです、これより長い研修が鈴鹿サーキットから始まります。この時期はまだ幸運なことにホンダには本田宗一郎社長、藤沢武夫副社長が健在で本当にエネルギッシュな勢いのある会社でした。

研修はホンダの歴史、1958年スーパーカブ発売、1961年マン島TTレース優勝、1964年F1参戦等輝かしいものがあります。商品知識には2輪、四輪、汎用と沢山の詰め込みも要求されましたが、本当のところは当時、4輪業界でホンダは最後発メーカーで代理店を通じての販売でした。1963年のT360,オープンスポーツのS500等が不発に終わった時期です、新たにホンダ営研を設立、藤沢武夫社長を筆頭に販売網の再構築でメーカーと販売店とを結ぶ新たなパイプが考えられました、入念な市場調査をはじめ流通網の新規開拓には数多くの販売店が欠かせません、従来の代理店制度も見直すこととなりました。

なんとか販売店の設置が決まり愈々昭和42年N360が新発売となり、空前の国民車的な大ヒットとなりました。やがて昭和46年ホンダ営研は所期の目的を達成した事で本田技研に合流することとなりましたこれを機会に私は退職をして販売店を立ち上げることにしました。同僚と中京ホンダを設立、販売の最前線で頑張りましたが、昭和60年ホンダ技研が新たな販売店政策を発表、プリモ店のデーラー化に伴い同僚との将来に対する考え方の大きな違いもあり退職して新たにホンダ小牧を立ち上げることとなりました。

ホンダ小牧へのスタート

当時42歳 突然の独立開業となり資金の手当て、従業員の確保に東奔西走の毎日でした、銀行借り入れに必要な担保などもほとんど無く、有ったのは仕事に対する情熱と若い従業員の熱意と協力でした、最初は小さな店舗で修理の工具,ガレージジヤッキなども無く少しずつ買い揃えた次第です。銀行借り入れも難しい中で担保のいらない公的機関を調べて少しずつですが枠を増やしながら地元の銀行へは毎月のように貸借対照表と損益計算書を持参して報告、銀行への融資をお願いしていました。

毎日の仕事は当然販売と修理ですが当時ホンダではプリモ、クリオ、ベルノの3チャネルがあり販売車種は少なく人気の無い車種では次のモデルチェンジまで本当に苦労し中古車や保険業務に邁進するしかありませんでした。しかし2006年、平成18年に国内市場の変化にいち早く対応して3チャネルを統合あらゆるホンダ車を一つのチャネル、ホンダカーズ店で販売できることになりました。

車種によって店を変えることなくお客様と私たちが安心して長いお付き合いができる環境となりました。平成21年4月には私も満65歳となりこれ以上晩節を汚すことなく、後継を専務の山田繁尚に代表取締役社長として次世代への夢と希望に満ちた革新的な会社創りに挑戦できるよう望むばかりです。

地域とのつながり

地元の小牧でも知名度もない中でなんとか小牧法人会そして小牧商工会議所、やがて先輩ロータリアンからの強い勧めもあり小牧ロータリークラブへの入会で地域への貢献等にも尽力し各委員長、会長等を29年間皆さんの協力でなんとか務めさせて頂きました。

この間事業所も増え小牧をスタートして、北名古屋、春日井、犬山、名古屋守山と地域への拡大進出に伴って社名が不釣り合いとなり、今後の拡大展望も含めて平成30年にホンダカーズ尾張と改名させていただきました、今後ともよろしくお願いいたします。 振り返れば、53年間ホンダと共に歩んできた事となりました、スーパーカブから始まって2輪のマン島レース、F1の連続優勝、CVCCエンジン、最近では2足歩行の人型ロボット、のアシモ、大空に向かってはホンダジェットが大きく羽ばたいています。

ホンダは今後ともに大きな夢とロマンを追い求めていきます、常に話題を提供するホンダに是非ともご期待ください。

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社長のメッセージ

弊社は、Hondaディーラーとして愛知県尾張地区を中心に活動している販売会社です。私は、二代目社長として先代の意 思を継ぎ、「継続的かつ持続可能な成長戦略を描き続けるものでありたい」と、拡大路線をすすんでおります。

混沌とした世の中に、Hondaという強いブランドを軸に、「人として限りない成長を目指す」者が集う弊社です。 Hondaというブランドが、ヒストリーが好きになれる人、人を喜ばすのが好きな人に出会いたいと考えております。